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二代目社長 弘内 喜代志   
 

                                     光テック物語

バックナンバー  
NO51〜NO100

                   光テック物語 (NO.50) 
                 
「ふるさとリフォーム」後日談 

「ふるさとリフォーム」ビジネスモデルをホームページへアップしてから
さまざまな反応がありました。
http://www.hikaritec.co.jp/furusato-aisatu2.htm

 
ある親しい友人から、「動画で社長の顔のアップはやめてくれ。
あのー、あのーが耳障り。もうちょっと標準語でしゃべれんが。」
などとさんざんな反面「社長が動画で語りかけてくれると安心できる。
人柄や会社の雰囲気がわかる。土佐弁がなつかしい。」と好評な
面もありました。

又、インターネットを通じての商取引に対する抵抗感は、
インターネットに精通している方には年齢、性別に関係なく受け入
れてくれるようです。ただし販売先の会社名から察せられる
信用力は重要なポイントである。

インターネットはきっかけであり後々の電話、
FAX
e-mailなどによる接客マナーが大変重要であ
る。などさまざまなことがわかりました。

私達光テックのスタッフは、高知にいるご両親と県外
にいる皆様とをインターネットをきっかけにして実際に
高知のご両親とお会いして親孝行の
橋渡しのお手伝いをしていきます。

又、高知県の推し進めているふるさと定着事業とのリンク、
全国ネット住宅メールマガジンへの紹介、住宅機器メーカー
との連携などこれから進めてまいります。 

「ふるさとリフォーム」を私の友人へ情報発信していま
したらある新聞社グループの地域誌がとりあげてくれること
になり先日トビッキリ美人記者の取材を受けました。

地域誌にどのような記事が載るのか楽しみです。
                                                  
                   
                        

                 光テック物語 (NO.49
                  
「ふるさとリフォーム」

  
先日、娘(ヨッコリーヌ)の車がちゃがまった(土佐弁 壊れた)ので
中古車を買うという。それもインターネットで買うという。

私も常務()も「百万も超す車を一度も付き合いのない人
と取引して大丈夫かえ?」「又現物を見なくて信用できるが?
などと、さんざんなことを娘(ヨッコリーヌ)に言ったが、
「今はインターネットで買うことは常識で!」とさっさといくつか
のディーラーとe-mailで打ち合わせをして決めてしまった。

おまけにちゃがまった車をインターネットオークションにかけて
売却までしたのである。

 そうだ。長年温めていた「ふるさとリフォーム」もこのことと
同じではないか・・・高知県外にお住まいで「ふるさと」の
住宅をリフォームしたい方へ情報発信しよう!

ということで動画配信「ふるさとリフォーム」ビジネスモデルを
ームページへアップしました。
http://www.hikaritec.co.jp/furusato-aisatu2.html

私がこの「ふるさとリフォーム」について緊張してしゃべっています。

問題は、お知らせしたい県外にいるお客様へどのような手段でこの
「ふるさとリフォーム」を知ってもらうか? です。
ぜひご覧になって、皆様のお知恵をお聞かせ下さい。

よろしくお願いします。
                                                                                            
                     

                光テック物語 (NO.48
         
   「夫婦で机を並べて猛勉強」

 昭和392(1964)に私の親父 弘内 信喜が創業してから今年で
43
年になる。最初は個人経営ということで事業をやつていたが一段の
飛躍の為に有限会社組織にしたのが昭和556(1980)

せっかく有限会社組織にしたのであるから官公庁の指名業者に
なろうとして「指名願い」を高知県に提出することとなった。

 
しかしながら、「指名願い」に必要な書類として施工実績金額、
施工証明書、決算書、技術者等を提出しなければならないが
この方法がわからない。

どうしようと常務(私の妻)から相談を受け、ともかく高知県の
担当官に相談してみたらということで、何もわからないまま
相談にいった。ところが書類が全然そろってない上にまったく
大福帳的な決算書で端にも棒にもかからない。
散々会社の非力を感じて落胆して常務は帰ってきた。
そして泣いた。

 それから猛然として勉強をして一級建設業経理事務士をとった。
一級電気施工管理技士、一級管工事施工管理技士、
宅地建物取引主任者、二級建築士など次々に取得していった。
国家試験になる前の高知市水道局の給水主任技術者試験も私
と机を並べて猛勉強して合格した。

ハングリー精神がなせる業として今思えば楽しい思い出である。
                                                                                          
                       

                     光テック物語 (NO.47
             
「各関係者との協力会議で実力アップ」


 
今年もはや12月。月日の経つのは早いものだ。
都会では、景気がいいといわれているがここ高知ではぜんぜん
実感がない。

「どうも変だぞ!」今年の初め 12月になって感じ始めた。売り上げ、
利益とも伸びないのだ。

「何とかしなくては・・」と思い、その方法論を考えた。従来のように
(社長)が方針を出すという方法はこの対策にならないような気がして
関係者の皆様の力を借りるようにした。

すなわちメーカーの営業、卸、ショールーム、弊社の営業と私で2週間
おきに2時間3回の会で結論を出すことにした。

一回目は弊社の実状、問題点、二回目は一回会議に対するそれぞれ
の立場からの議論と一定の方向性、第三回の最終回は方法論と
進めて一定の方向性を決めた。

そして8ヶ月がたった。ドラマのように劇的な成果とはいかなかった。
しかし確実に言えることがある。
その会議に参加した人たちが「確実に実力をつけた」のである。

 
〜来年こそはよい年でありますように!〜

                            
代表取締役社長 弘内 喜代志
  
  
        
光テック物語 (NO.46) 
      
「わが社のお客様サービスシステムの歴史」A

今回の弊社の手法は、高知県産業振興センターからプロのシステム
エンジニアを弊社に派遣してもらって、社長と担当者とこのプロの
システムエンジニアの
3人が一体となって少し長い時間を掛けて
開発していったものである。

 自社の業務に精通している担当者、今後どのような方向性をもっている
かを判断できる社長がプロのシステムエンジニア指導のもとに顧客管理
システムのどのような項目、その項目のレコード数、レイアウト、また
検索システム、修理経歴の取り方、金額の総計、経歴別の金額合計、
修理頻度などを決定して幾度かの試行錯誤を繰り返して入力のしやすさ、
今後の拡張性などを検討していった。その結果自社でプログラムを
自由に使いこなすことができるように全社的にレベルが上がった。

 この過程を全社的に経験したことが、コンピュータに対する恐怖心
を払拭し、次々と自社の業務をコンピュータ化、
IT化をはかり
ホームページ、定期的な
FAXによる情報周知、メールマガジン、
自社で印刷する為の版下などをコンピュータを使って自社で行っている。

このようなことが出来だした原点は、この顧客管理システムを
つくっていった手法を経験したことである。

 もう10年も前のことである。

                                 
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                         光テック物語 (NO.45) 
      
「わが社のお客様サービスシステムの歴史」@



  
お客様への迅速なサービスを展開しようとなるとそれなりの
システムが必要です。

今から20年も前は、中小企業においてデータを整理する方法は
紙ベースカードでせいぜい「あいうえお順インデックス」から
データを探すしかなかった。
コンピュータは大変高価なものであり、またコンピュータを
動かしていくプログラムは素人では難しく専門のコンピュータ
会社に頼むとなるとハード、ソフト合わせ何百万もしていた
のである。

住宅の設備維持管理またリフォームについての提案にいたる
一連の販売促進をシステム的に行っていくには、顧客管理
システムというデータベースが必要ということは、
認識していました。

 弊社の顧客管理システムが出来る以前の状態は、各人の記憶
の中とか、請求書の控え、年度ごとに整理している図面や
お客様とのやりとりのメモなどから依頼のあったお客様の
要求に応じて関係する情報を集めていた。

 
当然このようなことですから情報の正確性、迅速性はなく、
この状況を改善すべくコンピュータによる顧客管理システムを
構築しないといけないことも認識していた。しかし当時は、
コンピュータのハード、ソフトともに高価である為、中小企業
にとってコンピュータによる顧客管理システムを構築すること
など頭から無理であると思っていた。

 
特にソフトはコンピュータソフト会社にたのんで専門言語で
書かれたシステムを買うというのが一般的であった。又その
ソフトは、その社の業務に精通していないコンピュータソフト
会社が一般的にその会社の担当者から聞き取りをして創り
上げるという作業の為、痒いところに手が届くというレベル
まで達することはほぼ不可能であり、ましてそのソフト稼動後
手直しをするとなるとそのたびごとに費用を請求されるなど
中小企業にとって自分の業務に適した顧客管理システムを
構築することは難しいことであった。
                                                  
                       

 

                  光テック物語 (NO.44) 
     
「絶対失敗しないリフォームのポイント」 その10


F
 業者が建設業の資格をもっていること

 建設業法という法律では、500万円以上の設備に関する工事をお客様
と請負契約をして工事をする場合「建設業」の許可を受けていなけれ
ばなりません。この「建設業」の許可を受けるには、専門知識の
ある主任技術者や会社の運営していく上での知識、資金が一定以上
ないと受けられません。

また、許可を受けた場合、会社の見やすい場所に許可番号ほかの内容
を書いた看板を掲げなければなりません。頼みたい工事業者を訪ねた時、
建設業の看板を確認して下さい。またその会社のパンフレットや
ホームページで建設業許可を受けているかどうか確認して下さい。 

  おわりにあたって

 いかがでしたか。参考になりましたでしょうか。

弊社は創業41年の実績を誇っています。リフォームデザインコンテスト
で数々の受賞歴があり、デザイン、技術の優秀さが証明されています。

お客様との出会いを大切にして、お一人お一人にご満足いただけるような
プランを提案して、細心の注意を払って工事を実施し、工事完了後の
お客様の「笑顔」が私どもの最高の誇りです。

ぜひ、リフォーム工事は(株)光テックへご下命くださいますよう
お願い申し上げます。 
                                                                                         
                                                                                                                                                                                  


              
光テック物語 (NO.43)
 
   
「絶対失敗しないリフォームのポイント」 その9

D
専門誌、インターネット、友人、知人に聞くこと

 
本屋さんに行けば、素人向けのいろいろな雑誌が並んでいます。
またインテリアや小学生向けの「私の部屋」など、自分と趣味や
嗜好が合う雑誌を見て下さい。電力会社やガス会社住宅メーカー
などが出している雑誌なども大変充実しています。大抵無料で
見ることができますから参考になります。
 
 
ホームページで検索して下さい。ものすごい資料を見ることが
できます。住宅メーカーもほとんど自社のホームページをもって
いますので、資料を無料で送ってくれます。また大体のレイアウト
がホームページの指示に従って入力していくとパースができる
ような高度なホームページもあります。

 
質問コーナーもあってわからないことをホームページから
問い合わせることもできます。又、同じ立場のエンドユーザー
としての掲示板もあり、悩みや価格が適正か?など情報を共有
することもできます。

 
近所の人や親戚、職場の人など信頼できる人で同じような工事を
した人に相談して下さい。価格が適正か? 業者の評判は良
かったか?など大変参考になります。

E
アフターサービスが充実していること

 
自分の健康を守る為に、かかりつけの医者がいるように住宅にも
いつも正常な機能を発揮できるようにハウスドクターがいるもの
です。毎日生活をしている訳ですからか必ず何かが起こります。
何かがあった時、家の構造や修理経歴の知っているかかりつけの
ハウスドクターがすぐに直す為にも信頼できる業者を選び一生の
お付き合いができることが大切です。
                              
                      
   
                                                                                                             

                           光テック物語 (NO.42) 
     
「絶対失敗しないリフォームのポイント」 その8

 B     見積書の項目について納得のいくこと

さていよいよ見積もりといことになります。複数の工事業者に見積もりを
出すことを「相見積りをとる」といいますが、新築の場合は設計事務所に
設計を頼んで、図面、見積書作成をしてもらいますので、複数の工事業者
に見積もりを頼んでも大体同じ内容の工事を積算するということになりま
すが、リフォーム工事の場合、このことが大変むつかしいのです。新築の
場合と違って図面、見積書を作成することは、まずありませんので「何と
無く使い勝手が悪いので便利にして欲しい」というお客様の要望に対して
複数の工事業者が見積もりをした場合、まったく違ったリフォーム内容に
なってしまう場合が多いのです。

また、見積書に***工事一式いくらという内容からは、建築に素人の
お客様がどういう工事内容か、想像することは不可能です。ですから
自分で納得のいくまで業者に聞くことが大切です。カタログなど参考資料
も添付するように業者に頼んで下さい。 

C     ショールームにいくこと

各メーカーのショールームが高知市内にあり、ショールームアドバイザー
が親切に教えてくれます。メーカーにはそれぞれ特徴がありますので複数
のショールームをぜひまわって下さい。カタログを集めて価格、特徴など
を比較して下さい。比較することにより各メーカーの特徴がより鮮明に分
かってきます。実際に物を見て触ってみることは大変重要なことです。
たとえばキッチンであれば自分の身長と使い勝手が体感できます。浴槽で
あればバスタブに入ることができますので洗い場から跨いで入りやすいか、
蛇口の操作はしやすいかなど自分の体型に合うかどうか検討できます。
特に手すりをつける場合は、体格、右利きか、左利きか、握力などによって
左右されますので実際に体感することが重要になります。 

                                                                                                                                                                                

                  
光テック物語 (NO.41) 
     
「絶対失敗しないリフォームのポイント」 その7

 3.業者の見極めのポイント

@業者と自分とフィーリングが合うこと

 お客様のお家が現場です。お客様の生活に入っていって工事をする訳です
から自分とフィーリングが合わないと工事期間中毎日が憂鬱になります。
又、質問や疑問などを気軽に聞くことができませんので、結局仕上がり具合
に満足せずクレームとなって気まずい思いが残ってしまいます。

 
ですから自分と気が合いそうだと思う業者に発注すべきです。
では、そのポイントはというと

 
最初に電話を掛けた時の応対、現場でのその会社の社員の接客態度、
その後の何度かの打ち合わせの態度、見積もりなどの説明方法に対して
納得がいくか、など工事を決定するまでに自分とフィーリングが合うか
どうかの機会はたくさんありますので、妥協することなく決定して下さい。 

A時間をかけること

 何と無く使い勝手が悪いのでリフォームしたい、とかカントリー調の
部屋にリフォームしたい、あのテレビの主人公のあの部屋のように
リフォームしたいなど要望が抽象的です。

 この抽象的なお客様の要望を具体化して図面を書き、見積もり金額を
積算してい
くという作業をしなくてはなりません。この具体化するという
作業が大変なんです。お客様の好き嫌いという嗜好が入ってきますので、
お客様と私達業者との間の言葉でのコミュニケーションが、思い違いとか、
専門用語のやりとりなどで上手くいきません。十分コミュニケーションを
図る為には時間が必要なのです。工事業者としては、早く契約までの時間
を短くしたいのは山々なのでが、お客様が完全に納得してからの契約でない
と後々必ずクレームになります。特にお客様の家族間で話し合いをして、
一致協力してリフォーム工事にとりかかるということがないと、工事中や
竣工後家族全員が喜んでくれることがありません。

 
家族全員が理解してくれるということがややもすると抜けがちです。
                          
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                光テック物語(NO.40
    「絶対失敗しないリフォームのポイント」その6


2.リフォーム需要の発生周期
   
リフォームの発生は大きく2つの要素からなっています。

@
住宅のメンテナンス、営繕的な比較的小規模の需要

 
新築した時点から家の劣化が始まります。3年位たつと外壁のペン
のはがれが目立ち始め、6年位たつとガス器具の不具合、蛇口の水漏れな
どが発生します。6年間の間には台風、大雨など自然災害も1件ぐらい
発生して屋根からの水漏れ、さしかけの破れなどがおこります。
10
年位たつと塗装のやり直し、配管の引きなおし、給湯器の取替え
などが発生し始めます。このように3年ごと位にメンテナンス、
営繕的な比較的小規模の需要が発生して工事を実施しないと家の
寿命を極端に縮めるということになります。

A
ライフスタイルの変化にともなう需要

 
新築したときを1年とすれば、家を建てて6年たてば、住み手の家族
もみんな6歳年をとります。1歳の赤ちゃんが小学校1年生になる
と言う訳です。
 
このようにその家にお住まいの方のライフスタイルの変化に合わせて、
家に対する欲求が変わってくるのです。「子供さんが自分だけの勉強部
屋が欲しい。」「母親を引き取らないといけないので、道路までの
アクセスが容易で日当たりがよく、トイレに近く、できれば簡単な調理が
できる小さな調理台が欲しい。」「バリアフリーでお年寄りにやさしい
住宅にしたい。」「子どもが独立したので今までの子供部屋をご主人の
趣味の陶芸の部屋にしたい。」
 
このように、家の築年数に関係なしに、住み手の方のライフスタイル
の変化に対応したリフォームが発生し、かつ比較的大規模な工事となります。

 
上記2つの要素によってリフォームが発生しますので、一度信頼して
リフォームを実施したお宅は確実に3年から5年ごと家が存在する限り
仕事が受注できることになるのです。

 
以上のように新築とリフォームは施工体制、販売戦略など違いがある
のでこの違いを十分理解して取り組まないとまったく的外れの
ことがおこります。

                          
光テック物語 (NO.39) 
                 「絶対失敗しないリフォームのポイント」 その5  

  B     お客様が現場監督である。 

新築を建てる時、お客様が何回建築現場に足を運ぶでしょうか。
せいぜい毎週土曜日か日曜日の半日程度ではないでしょうか。
しかしリフォーム現場は全く違います。現場そのものがお客様
の家です。すなわち、よく自分の家のことを知っているお客様
自身が、
24時間現場監督をしているのです。

C     新築施工体制をそのままリフォームに持込むと大変
なことになる。
 

お客様は、建設業界の下請け組織を知りません。現場に出入りする
職人全員が、元請の会社社員と思っているのです。そこでお客様は、
たまたま現場に行った時に居合わせた下請職人に、契約した
元請工務店の社員だと思っていろいろと質問したり、こんな風に

して欲しいなどの要望をあたかも契約前に営業、または工務店社長
に言うように言ってしまいます。又、契約前の対応と同じような
対応を下請け職人に期待してしまいます。ところが下請業者は
お客様からお金を貰うのではなくて元請の工務店社長から貰う

のです。ということはお客様にいくら愛想よくしても自分の
見入り(収入)に直接関係しません。それどころか、下請けし
ている現場から現場へとそれこそ時間をかけないように効率
よく回った方がよっぽど見入り(収入)がよくなるのです。

 このように構造的に業者は「約束を守らない」「何時に来たか、
帰ったかわからない」「養生をしてくれない」「掃除はしない」
「取り扱い説明をしてくれない」など、あまりかんばしくない
イメージが今だについてまわっています。それをすると自分の

見入り(収入)が減ってくる。自分で自分の首をしめることに
なってしまうということになるのです。
 新築の時は、あまりお客様も現場にくる機会がリフォームに
比べて少ないからこのようなトラブルが発生する確率が少ない

ですが、リフォーム現場では、それこそ
24時間お客様がそこに
いるからトラブル続出ということになります。このような理由
で新築とは違う施工体制、社員教育、関連業者との約束事が重要
になってくるのです。
                                                                                                                                                                                                                                                                                  光テック物語 (NO.38) 
「絶対失敗しないリフォームのポイント」 その
4

  新築とリフォームの違い 

新築とリフォームとは建築の分野であるのでよく似ていると
誤解している人が大半です。この違いをお客様も工事
業者も理解していないとトラブルの元となります。
 

@     お客様の方が家のことについて知っている。 

お客様は、長年その家で暮らした歴史があるから、世界で
一番その家について知っているはずです。

新築時は、少しでもローンの支払いを少なくしようということで
「雨露をしのげばよい」として、塀、ガレージ、差し掛け、
倉庫などはつけない。
34年と経っていくうちにこれらの
部位を付加していく。よって「この倉庫の裏に配管が

通っていた。」とか「水漏れでこの壁がぬれたことが
ある。」とか「新築した時に、瓦の予備として
10枚倉庫
の中に眠っている。」のような情報を業者
(工事店)以上
に知っているのです。
 

A     長年住んでいる家には、業者にはわからない
住み手の想い入れがある。
 

建築した家が一年経つと同じように、住んでいる人もまた一年
 歳をとります。お客様は、その家で子どもを生み、学校へ通い、
悲しい事、うれしい事など家とともに成長し、そして終焉を
迎えようとします。業者の陥りやすい専門分野「建築基準法」
での議論、たとえば、「構造計算上まったく問題ないのでこの

仏壇は取っ払いましょう。」とか「道路からアプローチの邪魔
になるのでこの木はのけましょう。」など、お客様の気持ちも
考えずにすぐに図面に落とすとか、事を急ぎすぎるのです。
 
 
更地の上に新築するということのみやっている業者が陥り
やすいことである。
 

                                              

            光テック物語 (NO.37) 
   
「絶対失敗しないリフォームのポイント」 その3

建設業に携わっているものとして、2つの社会情勢のことを
考えなければなりません。
1つは新築着工件数が少ないこと、
もう
1つはお客様から建築への要望が多様化していることです。

新築を考える時この2つの対応を考えなければなりません。 

このような背景から住宅新築市場はピーク時の6割に減少の
一方、住宅リフォーム市場は、拡大の一途をたどっています。
よって住宅産業は大きく方向転換をせまられました。「新築」
から「リフォーム」へ住宅関連メーカー、卸、工事店という

川上から川下まで関連する産業すべてが、方向転換を余儀なく
されたのです。いち早くこの変化に気付いたのがメーカーです。
メーカー製品×新築着工件数
=売上高の方程式が崩れたのです
から深刻でした。しかし、住宅リフォームという市場は

暗黒大陸です。「なんとなく使い勝手が悪い」「もっと快適な
方法はないの
?」というひどく抽象的なお客様のニーズに答えて
いかなければなりません。少し我慢すれば生活ができるという
ことを考えるとこの住宅リフォーム市場は潜在化しやすいの

です。ある意味では無尽蔵な潜在需要をどう顕在化させる
のか。メーカーにとって、あるいは工事店にとって新たな
方法論を模索しなければならないのです。
 
                                                                                   

                   光テック物語 (NO.36) 
        
「絶対失敗しないリフォームのポイント」 その
2
 

1.住宅リフォームと新築とは、全然ちがう

一般論 

新築着工件数が年々減少しています。高知県において平成8
をピークとして現在ピーク時の
6割にも落ち込んでいます。
この傾向は、今後も進行していくものと思われ、今後新築着工件数
が増えることはないのです。又、その中身もかつてのような、

どちらかというと量を重視したすなわち「住めればいい。」の
ような建売やマンションの仕様を統一して一軒の価格を下げた
方式から、現在は住手一人一人に対応した「質」を問われるよ
うに個別対応方式に変わってきました。

 このような変化の社会的な背景に少子高齢化が考えられます。
一般論として一家と一家のそれぞれの一人っ子の男性と女性が
結婚したとしましょう。それぞれの両親は持ち家である。
すると結婚した若い夫婦のための家は、耐久性を別と考えれば

「どちらかの家に住めばいいので、家一軒はあまる。」という
ことになります。ましてや高齢化ということで、二世帯住宅に
リフォームすれば、両親ともに安心ということになり、あえて
土地をかまえて、さらに新築するという必要はありません。

この傾向が全国的なトレンドとなっているので、今後新築着工
件数が減りこそすれ、増えることがないのであると考えられ
ます。                                          
                 
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                光テック物語 (NO.35) 
       「絶対失敗しないリフォームのポイント」 その
1

  昭和392月に創業して以来、数え切れない程住宅リフォーム
工事を経験してきました。その住宅リフォーム工事内容も時代
と共に変化してきました。特にこの数年、お客様お一人お一人
の個性に対応した住宅リフォーム工事を求められてきています。

そこで工事業者として、お客様がほんの少し「住宅リフォーム
工事」という事について知って頂いていましたら、スムースに
工事が進んだり、お客様が不愉快な思いをなさらないことが
あるという事に気付きました。

そこで、今まで私共の経験からお客様に知って頂きたいこと
をお伝えすることも大事な私共の使命と思い、光テックから
お客様へのメッセージ
として数回に分けて記述することと
致しました。

少し専門用語が入るかもしれませんが、極力わかりやすく
私達の想いを書いていこうと思います。
疑問点がありましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。

では、来月号から始めます。

                                                                       

         光テック物語 (NO.34) 「予期せぬ休息」

 ちょうど一年前の2004年晩秋・・・
  
どうしたことかこの一、二ヶ月どうも体の調子がよくない、
過労かなと思い一日安静にしておくと又、元の調子にもどる
・・・こんなことが二、三回続き病院で見てもらうと原因は
胆石とのこと。

 この摘出手術をこの
11月に受けました。手術後一週間は
点滴で口から食べ物が入りません。生まれて初めて次から
次へと食べ物の夢を見ました。エイ!それでは、退院後いや
と言うほど食べてやると「食べ物リスト」を作ってみました。

すると不思議に今まで食べた物しか食べたいという強烈な
欲求が沸いてきません。テレビや雑誌で超高級フランス料理、
中華料理など見たり聞いたりしていても食べたいと言う本能
の前にはそれこそ紙の上の写真だけで強烈な欲求には
結びつきませんでした。 

 リストの数は五十いくつかになりましたが、
そのナンバーワンが『たっぷり鰹だしの利いたあつあつの
素うどん
』何にも足さないただのあつあつの素うどんでし
た。

さて無事退院してあつあつの素うどんをふうふういい
ながらずるずる音をたててすすり終わった後、テレビで紹介
されていた超豪華!韓国宮廷料理を食べたいと思った!?。
・・・もうどっぷり下界の世界でうろうろしています。
ご心配なく。

 
退院時は随分引き締まり、ベスト体重になりベルトの穴を
3つも縮めました。(リバウンドが恐い〜 :2005年現在
 完全に元にもとりました トホホホ )

                                                  
                       

           光テック物語 (NO.33) 「まだ宣伝がたらん」

  平成元年に「弘内電気・光設備」から、総合住宅サービス業と
しての『(株)光テック』に社名を変更した。

このことを皆様にお知らせしなくてはと思い、テレビCMを作製
しました。普通テレビCMは15秒であるが、倍の30秒の
テレビCMで新しくなった『(株)光テック』を作製して放映した。

これで一瞬にして『(株)光テック』の名前は県下に知れ渡る
と思った。しかし、かかってくる電話は、「弘内電気さん」
「光設備さん」と1ケ月経ち、2ケ月経っても言われるのである。
原因は、この30秒のテレビCMをあまりにスマートに作り
すぎたのである。

高知の人のテイストは、吉本興業のコテコテのノリでない
とダメ。今まで十数本テレビCMを作ってきて初めて分かった
ことである。そしてコテコテのノリで、私が腕を組んで
「まだ宣伝がたらんなぁー」と言うテレビCMを作って
少しは知ってくれるようになった。

                                                                                                                                                                                 

             光テック物語 (NO.32) 「社名変更」 

 オヤジ (先代社長)が個人企業 弘内電気店として創業した
のが昭和
392月。

 
オヤジがなくなった昭和635月ごろには、事業内容が
電気工事から住宅全般の設備機器、水道工事、建築工事と
どちらかというと総合建設工事を手掛けており「弘内電気」
という屋号では、事業内容を表しにくくなっていた。


設備部門を「光設備」という名称でテレビ
CMしていたが、
「弘内電気」と「光設備」という二本立てで宣伝していく
ことに限界を感じていた。そこでオヤジのなくなった機会
に社名を変更しようということになり、以前使用していた
「光設備」の「光」を生かして、科学技術の英語
technology」の略語「テック」とを結合した
「株式会社光テック」が誕生した。

 オヤジの遺言が「弘内」の名前は永遠に使用して弘内の
名前を汚すことのないように
と言うことであったが、
あっさり私は換えてしまった。

親不孝とは、こういうことであろうか。
いや、きっとオヤジは許してくれているに違いない。

                                                                                                                                                                                 

        光テック物語 (NO.31) 「オヤジとの喧嘩」

 昭和635月オヤジ (先代社長)は亡くなった。
不思議なことにオヤジ
(先代社長)が亡くなって悲しいという
気持ちはなかった。
オヤジ
(先代社長)の背中が語っていた明日の仕事はあるろ
うか』支払いは大丈夫やろうか』従業員に給料は払えれ
るろうか』このようなことを今度は、私が荷う事になった。

とても感傷に浸っている余裕などなかった。私が専務の時代
には、オヤジ (先代社長)といつも喧嘩していた。「こんな
やり方では、将来がない。」「もっと営業に力を入れんと
先細りになる。」「新規のお客様を開拓しないと・・・」

等々こんなことで言いやいになり最後は、お袋が間に入って
「喜代志よ。喜代志の時代になったらやったらえいき、
今はオヤジ (先代社長)のやる気をなくさんようにして
ちょうだい。」といって間をとりなしてくれた。

二十数年経って今思うと、私はオヤジ (先代社長)にあま
えていたのではないか。もっともっと喧嘩をしとけばよかった。

そのかわりに私は当時のオヤジ (先代社長)の思い出を何回も
何回も反芻してこの光テック物語を書いている。

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           光テック物語 (NO.30) 「新たな軌跡」

最近、思うところがありまして「これからの住宅産業の
販売戦略・・・メーカー、卸、工事業者の戦術」という
タイトルで小冊子を執筆しました。
 
その最後にこのような文章で締めくくりました。

「昭和392月に先代社長(オヤジ)が自転車にかごを
つけてペンチとドライバーを腰に巻きつけての創業で
あった。私が中学校3年、弟が小学校6年だった。当時
オヤジは39歳。今私は55歳。当時のオヤジの年をはる
かに越えた今、当時の39歳のオヤジのことを思うと、
涙が出てきてしょうがない。子供の教育のこと、生活
のことなど震えるほどの恐怖の中に一筋の光明として
の希望や夢を見出して船出したにちがいない。まんじり
として眠れない夜を何日も過ごしたにちがいない。

また悔し涙に暮れた日も一日や二日ではなかったろう。
いつも私はオヤジの背中を見ていた。
明日の仕事は
あるろうか』
支払いは大丈夫やろうか』従業員に
給料は払えれるろうか』このようなことを背中が語っ
ていたような気がする。」

 ・・・昭和635月 オヤジは63歳で亡くなった。
昭和の時代を完璧に過ごしたのである。
 
今年で創業41年である。偶然であろうか、オヤジが創業
した年の39歳と同じ39歳で私は社長になった。
 
私が社長になってから、あっという間に
17年がたった。

将来をになう人材も育ってきた。もっともっと人材を
鍛え上げて「次世代へのバトンタッチ」が、今の私の
重要な仕事である。

                                                                                                                                                                                 

        光テック物語 (NO.29) 「オヤジの背中」 

 
昭和39年創業から今日までの出来事を振り返ることによって、
今後の方針が見えてくるのではないかと思いスタートしました
光テッ物語ですが、今でも鮮明に思い出す出来事があります。

 今から20年程前、あるビルの電気工事をビルのオーナーから
直接請け負いました。一般的な請負形態として、お客様で
あるオーナーは、元請の建設会社に一括発注してその一部で
ある電気工事を、その元請の建設会社から下請けするのが
一般的な方法です。

しかし、このオーナーとオヤジ
(先代社長)は古くからの
友人でしたので、電気工事を総金額から抜いて直接オヤジ
(先代社長)に発注してくれたのです。ところが、照明器具、
空調機器、リフトなども電気工事付帯としてオヤジ
(先代社長)
が取ったものだから元請の建設会社は面白くありません。

ある時その元請の建設会社社長が現場にきて、
オヤジ
(先代社長)に取っ組み合いをせんばかりに怒り
散らすのです。オヤジ
(先代社長)はというと、
「すいません」「すいません」というばかりで、なんともぶ
ざまなのです。
40分ばかりさんざん怒鳴られたあげく
建設会社社長は帰っていきました。

後はなんとも言えない重苦しい沈黙の後、
「喜代志よ。負けるが勝ちということも
あるがぞ。」それ以上オヤジ
(先代社長)は何も言わなかった。

 この出来事を思い出すたびに、涙が出てきてしょうがない。

                                                                                                                                                                                 

             光テック物語 (NO.28) 「人を見る目」

 オヤジ(先代社長)は、独特の「人を見る目」を持っていた。
あるブリキ屋さんを指して「あのブリキ屋さんは腕が立つ。
話し掛けても全く手を止めずに返事をして対応してくれる」
というのである。私は「そんなことは簡単じゃないか。」と
自分でやってみた。

すると相手から話しかけられたら、
ものの見事に手は止まるのである。手を止めて対応するの
が礼儀というケースのことを言っているのではなく、世間話
をしながら手を動かすことの難しさのことを言っているので
ある。

 
又、ある大工さんのことを「あの大工さんは、手が早い」
と言う。
私から見たらいつも座ってタバコを吸っているのである。
よくよく見たら、二度手間は絶対していない。何度も図面の
寸法をあたったり、何回も柱を切ったりしないのである。
全く無駄な動きが無く、またたく間にバッチリ現場が納まる
のである。

 
このようにオヤジは現場という真剣勝負の場で

「人を見る目」
という独特の嗅覚を身に付けたのではないか。

ややもすると理屈が先走る二代目の私である。      
   
                                                
                       


      光テック物語 (NO.27) 「認めない営業の重要性」

 オヤジ(先代社長)は、「仕事とは直接ペンチを握って現場で仕事
をすること」が仕事と思っていた。しかし営業をしないと仕事の
継続や拡大は望めない。営業したからといってすぐ仕事につなが
らない。

だから営業に費やした人役は、誰にも請求できない。
オヤジ
(先代社長)の目から見たら請求書が出せない事は
仕事ではないと言う訳だ。このことでいつも私は
オヤジ
(先代社長)とケンカした。その当時のことを家族は
「一番イヤやった」と言う。それが突然オヤジ
(先代社長)は、
何も言わなくなった。

営業の重要性を認めたのではなく、
「自分がいつまでも元気でいるとは限らないから次の世代の
やり方もあるのではないか
?」と思ったのではないだろうか。

その時を境にして私は会社という責任を担った。
                                                  
                      

       光テック物語 (NO.26) 「またまた一服」 

 この「光テックだより」を楽しみにしていただいています
読者の一人に私の母がいます。刷り上りました
「光テックだより」を一番に私の母に持って行きますが、
そのたびごとに「仕事はありゆうかね。」
「支払いは大丈夫かね。」「皆さんに迷惑かけてないかね。」
と必ず言われます。それも毎回必ず同じことを言われます。

もう何十回も同じ事を言われるものだから、私もめんどくさく
なって「ううーん。何とか行きよらあーね。」とつっけんどん
に言います。最近そのことが、親不孝ではないか、と考え出し
て「おばあちゃん、昔の創業時の思い出を書いてや。光テック
だよりに載せるき。」と言いましたら、がぜんはりきって書い
てくれました。

それを前月
3月号に載せた次第です。
その「光テックだより」
3月号は、オヤジ(先代社長)
仏壇に今も置かれています。

 
いくつになっても親は親。ありがたいことです。
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         光テック物語 (NO.25) 「殺気立つオヤジ」

 仕事もある程度安定的に入りだした昭和40年代の前半に、
人を雇うことにした。今まで人を指導するとか、物事を教え
るということのなかったオヤジ(先代社長)は、戸惑った。

相手に、やってもらいたいことを言葉で説明してあげなけれ
ば分からないのは当然である。しかし、相手に十分な説明も
なしにすぐ怒り出すのである。「どんくさいねや。」
「よっちょれ。」「俺がやる
!」こんな調子で、時には
ペンチを投げつけて相手を罵倒するからどうしても
雇った人が長く続かない。

結局、オヤジ一人で電気工事をするということになっ
たのである。
 
当時のことを今思い出すと、オヤジはいつも殺気立っていた。
「仕事は継続的に入ってくるだろうか
?」「支払いは大丈夫だろ
うか
?」こんなことを考えながらオヤジは悶々としていたのでは
ないだろうか。

 
二代目の私には、この緊張感が少々足らない。
                                                  
                        

    光テック物語 (NO.24) 「東京のDさんへの書簡」  

あなたとの出会いは私にとりまして衝撃的なものでした。
ちょうど2年位前でしょうか、東京で衛生器具メーカー

T
社主催の研修会での出来事でした。私は、事前に3つの
講座の内から「地域における販売促進」と言う
広告プランナーのあなたの講座にエントリーしていました。

机に置かれた資料を見てビックリ「なんだ。これは
!!!
講師紹介のあなたの顔写真が、何と舌を出しているではない
ですか。おそらく奇抜な非現実的なことをお話になるのではと、
あなたの講座を選んだことが少々不安になってきました。

しかし、あなたの講座を選んだことは、大正解でした。

販売促進とは、奇抜なことをチラシに書く必要はない。
社長の顔写真とともに、声高に「弊社の考え方は・・」
なんて会社方針を第一面に載せてもお客様には興味がない。
興味があるのは、「日常起こっている何でもない出来事」
なんです。

このことを社員の言葉で「どう感じているか。」を載せれば
よい。その何でもない様な事柄の中にこそ、会社の仕事に対
する姿勢を感じ取ってくれるものなのです。それをチラシや

DM
に表現すればよい。毎月あなたから送られてくる励まし
e-mailに、どれだけ勇気付けられることでしょう。
                                         
                                                                                                                                                          
                       

     光テック物語 (NO.23) 「光テックだより」100  

 月一回「光テックだより」を発行し続けることがいかに大変
なことか。約
250社の皆様へ私が手配りしていますのが1
から
15日にかけてです。それが終わりますと、次号
「光テック物語」の原稿を書かなければなりません。

「ヨッコリーヌ」「デザインリフォーム」は娘の美子が、
「ミズおばさん」は常務(私の妻)が、その他のコーナー
と全体のレイアウトは池田が
15日までに版下を作ります。

16日から25日まで自社の印刷機で常務が刷り上げます。
折込してもらう部数約
22000枚の発送作業が月末にかけて
行われ、月初めに配布となります。このような作業を
毎日し続けて
8年が過ぎ、記念すべき100号を迎えることが
できました。読者の皆様から「光テックだよりを読んで
面白いよ」の笑顔を励みにこれからも発行し続けますので
ご愛読をよろしくお願いします。

                                                                                                                                                                                  

    光テック物語 (NO.22) 「光テックだより」と共に

「光テックだより」第一号を出したのが今から8年ほど前です。
その頃の「光テックだより」を見てみますと、スペースと言う
スペースは新製品の紹介、会社の地図、従業員の資格などで埋
め尽くされていました。少しスペースが空いたと言うと何か
安売り商品を入れていくといった具合です。

 何年か経ってから親しい社長から「弘内君、
お宅のチラシを受け取る側から見てみて
? なんか感じん。
」はっと
! 気がつきました。「お客さんの事を考えずに、
一方的にこちらからこれでもか、これでもかと情報を流していた。」
「結局、一方的な押し付け情報でしかなかった。」
 ほっとする話題や、ちょっとした暮らしに役立つ豆知識、
地域の出来事を社員がどう感じているか。

など肩肘張らずに
少し遊び心で情報発信しよう。情報発信するとは、こういう
ことだと気づいたのです。
 こうして「光テックだより」
100号を超えました。

        光テック物語 (NO.21) 「光テックだより」の原点

 お客様に光テックとは「こういう会社です。」とか「住宅の最新情報
は、こうです。」とか「展示会をやっています。」などを伝えるには
どうしたらよいか。随分悩みました。いや今も悩んでいます。

チラシ、テレビ
CM、新聞広告、ホームページ、FAX DM
メールマガジンなどあらゆる媒体を使ってみました。コストとその
効果のバランスを考えてみますと「これだ
!」と言う決定打がない。
では、肩肘はらずに「光テックは、今日もつぶれずに元気にやって
います。」という事をお客様へお知らせしよう。少し遊び心で情報
発信しよう。というのがこの「光テックだより」の原点です。

 ああでもない、こうでもないと苦しみながら毎月発行して、
まもなく
100号を迎えます。さあ、今からお客様へ感謝の為の
100号記念企画」会議を開きます。

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   光テック物語 (NO.20) お家も人生を一緒に歩むパートナー

 一軒のお家が「新築」から「取り壊し」までの一生の内、どれだけ
のお金がその家に費やされるのでしょうか。

二つの要素が考えられます。

@
     住宅維持工事・・経年劣化を防止する為、定期的な塗装工事、
給水排水の配管取替え工事、給湯器の取替え工事、台風による屋根、
さしかけ改修工事など
36年ごとにこのようなリフォーム工事が
発生します。

A
     ライフスタイルの変化による工事・・新築の家とともに
住み手の家族も歳をとります。
1歳の子供さんも5年経てば、
小学校一年生です。自分の部屋が欲しくなりますね。
20年も
経てば、ご両親を引き取ることもあります。1階の日当たりの
いい部屋に住んでもらいたいですね。このようにライフスタイル
の変化に対応して家も変わっていくのです。お家は、まさしく
住み手と共に人生を歩んで行き変化していくのです。

 
お家をリフォームするということは、「住み手の歴史、
人生にまで深く関わって行く」ということです。

 
おぼろげながら、このことに気付き始めた平成元年
頃の事である。


             光テック物語 (NO.19) 早すぎたCM 

 1995年頃、きたるべき20004月より介護保険の適用開始を
見越して、いろいろの業種がシルバーサービスに参入していった。
在宅介護として、手摺をつけたり、段差を解消したりする
家屋改造は、従来からやっていたリフォームの延長線という
ことで
CMをつくろうということになった。

さんざん迷った挙げ句に私が老人に扮して、車椅子や、
階段昇降機に乗ったり、トボトボと手摺につかまりながら
玄関をあがるシーンを撮った。 ところが、どんなに
トボトボした演技をしてもやっぱり元気なお年寄りになって
しまい、
NGの連続。やっぱりプロの役者にはかないません。

しからばということで、髪を白くしたり、白い口ひげをつけた
りして衣装でカバーして何とか
OK。「さぁー、これから手摺や
段差解消の工事が、ばんばんくるぞ。」と期待してルンルン
気分で待っていました。
 
しかし、全然仕事がきません。この
CMが早すぎたのです。
まだ世間では、「介護保険って、何それ」という認識だったのです。


 CM
を流すにもタイミングがあることをいやというほど
知った
1995年である。


             光テック物語 (NO.18) ちょっと一服 (パート2

 この「光テックだより」は、様々な手段で皆様のお手元に
届けています。地域情報誌への折込、
fax、メールマガジン、
ホームページなどですが、ちょっとユニークなお届け方法が、
直接職場へ「光テックだより」を私が持参して職場の皆様に
ご覧いただくというのがあります。

 
毎月会社におじゃましていますと、見えないことが
見えてきました


・ある鉄工所の玄関には、いつも四季折々のお花がきれいに
咲いています。きっとお花の好きな方が手入れをなさって
いることでしょう。

・あるお菓子メーカーの大変掃除のいきとどいています玄関
を入りますと、いつもチョコレートの匂いがします。私の子供
の頃を思い出します。

・ある食材配送会社の受付には、その会社の配送車の
ミニチュアが並べられています。マニアには、喉から手が
出るほど欲しいことでしょう。

・ある印刷屋さんへ入りますと、輪転機でしょうか、
「カチャ、カチャ」と妙に懐かしい音とインクの匂いが
私を迎えてくれます。

なにより対応していただいています皆様の笑顔が、
私にとりまして嬉しくてたまりません。
今日、我社の朝礼
で「笑顔が、最高のお客様へのサービス」と私の体験を
社員一同に話しました。



             光テック物語 (NO.17) テレビの怖さ  

 一番最初につくったCM「おじいちゃん 会社の名前」
バージョンは、「どんな小さなことでもすっとやります。」
というコンセプトです。この
CMがあまりに強烈であった為、
CMを見て下さったお客様は「光テックは小さな仕事だけ
しかしない会社である。」というイメージを定着させてし
まったのである
 

何回か、住宅のほんのちょっとした修理をしたお客様へ
その後の様子をお伺いに行った時、そのお宅はすでに
「増築という大リフォーム」を実施していた。お客様へ
「光テックは、このようなリフォームがメインです。」
と私は言った。お客様は「そうやったが、光テックさんは、
修理しかせんがかと思うちょった。

光テックさんがやるがやったら、光テックさんにたのん
だがやに・・・。」すぐ「リフォームもやっている光テック」
という
CMをつくった。しかし、お客様が、最初にイメージし
ている「光テックは、修理しかしない会社」を変えることが
出来なかった。

 皮肉にも一番最初のCMがあまりにも強烈に、お客様に受け
入れられたという事が一番の原因であった。


 テレビというマスメディアの怖さをいやというほど知った
昭和
60年代である。

                                                                                                                                                                                  

 
    
光テック物語 (NO.16) 大満足のCMのはず

  テレビでよく見るCMは、大体15秒である。一流のCM製作者に
よれば、「15秒で、人の人生全部を語ることが出来る。」と言う事
を聞いたことがある。
  
しかし、である。私は欲張りであったのか、あれも これも 
すなわち「電気もやりゆう」「水道もやりゆう」「建築もやりゆう」
を全部15秒のCMに入れて・・という強い私の要望にCM製作者
も圧倒されてしまい、結局、全部を盛り込こんだCMが完成
しました。

 
私は、これで当時の「光設備」「弘内電気」の業務内容が、
CM
を見ているお客様に「完全に知っていただくことができた」
と大満足!!ところが完全に私の自己満足で、お客様にとって
「一体、何をしている会社かわからない」というCMだったのです。

 CM
にのめりこんで行った昭和60年代初期のことである。

                                     
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         光テック物語 (NO.15) テレビコマーシャル

 住宅リフォーム独特の施工、管理体制は、猛勉強の結果段々
わかってきましたが、営業をどうするかで悩みました。地域に
根ざした堅実な仕事を経営理念にしていることをお客様へど
のような手段で知っていただくか、問題でした。多数の人に
知っていただくには、テレビがいい!では、内容をどうするか。

・地域で生活している会社である。
・どんな小さなことでも喜んで仕事をする。
・住宅リフォームという新しい形態の夢を発展させたい。

このコンセプトで、オヤジ(先代社長)、専務の私、私の息子の
3
代が出演して「おじいちゃん、会社の名前」と息子がいい、
オヤジがち
ょっとすねた声で「光設備」という
コマーシャルが完成しました。

16
年前 息子は、小学3年生。それが今2歳の
女の子の父親になっている。


             光テック物語 (NO.14) お金の流れ

 お客様から工事業者のイメージは、「いつ来たか、帰ったか
わからない」「その日の工事内容の説明がない」「追加工事の
内容、金額が適切かどうかわからない」「工事範囲への養生
がされてない」などあまりよいイメージでないのではないでしょうか。

お客様は、工事に出入りする業者全員が、元請した工務店の
社員と思われがちですが、出入りする業者のほとんどはその
工務店の下請け業者です。この下請け業者は、工事代金を
お客様からもらうのではなくて、工務店からもらうのです。

ですから下請け業者の実入りを多くしようとしますと、いろいろ
の工務店の下請けをして現場を数多くこなしていく必要がある
のです。

ですから、極力「お客様とは、よけいな口をきかない」「お客
様との約束はしない」「お金にならない養生は極力しない」など
どうしても悪いイメージになってしまいます。

このようなことのないようにお客様に満足していただく
「リフォーム独特の施工体制」を確立しなければならないと言
う事に気付きましたのが、
20年前のことです。


          
光テック物語 (NO.13) 新築とリフォームとの違い

石川県の喜多ハウジング()、京都の()シーズン、広島の
(
)やまもと住研、それこそ日本一流の会社の社長に直接「住宅
リフォーム」のことについて教えてもらってわかってきたことは、
「新築」と「リフォーム」とは全然違うということである。例えて言うな
れば、同じ小売でも「八百屋」と「魚屋」程の違いがあるのである。

お客様が新築現場を見に行かれるのは、せいぜい一週間のうち
(
)()の半日程度ではないだろうか。それに引き換え「住宅
リフォーム」はお客様のお住まいになっている、その家その物
が現場である。いわば24時間お客様が現場監督をされているの
である。

このことの違いを理解せず、「住宅リフォーム」に新築の管理、
施工方法をそのまま適用するとクレームの続出となるのである。
やっとこの違いを理解しだしたのが、昭和55年頃、今から20年前
のことである。

                                                                                                                                                          
                        

           光テック物語 (NO.12) 猛勉強の時代

 ある日、私はオヤジ(先代社長)に呼ばれた。「喜代志よ。リフォーム
の事について勉強してみてくれ。更地に新築する従来のやり方と、
今人が生活している住宅でのリフォームとはおのずと違ってくるはずだ。

その点を勉強してみてくれ。」すでにオヤジの手伝いをしていた
私にとって初めて重要な仕 事を言い渡されたのである。私は電気
の知識はあっても住宅のリフォームの知識はありません。さて、
どうしたらいいのか考えに考えた。そして出した結論は、全国で
一番住宅のリフォームをやっている会社に勉強に行こうと決意した。

その為の第一歩として日本増改築産業協議会に入った。
石川県の喜多ハウジング()、京都の()シーズン、
広島の()やまもと住研、それこそ日本一流の会社の社長に
直接教えを乞うた のである。今から二十数年前のこ とである。
                                                                                                                                                                                                    
                       

            光テック物語 (NO.11) リフォームのむつかしさ

 「住宅のリフォーム」という言葉は、今でこそ理解していただけますが、
昭和50年頃というと「リフォーム」という言葉さえも何のことか一般の人
には理解されていなかった。

お客様に「暮らしの満足」をしていただく
「総合リフォーム業者」になろうと決意したオヤジ(先代社長)は、
この「総合リフォーム業者」という形態をどのように一般のお客様
へ宣伝していっていいか具体的方法がわからなかった。今まで
仕事をさせていただいたお客様は、大工さんからの下請け仕事で
あったので、お客様へ直接お話はできません。

お客様は大工さんこそ知っているものの下請けのオヤジは直接お客様
と話せる立場になかったのである。「どうしょう。」「どのようにお客様へ
この思いを知ってもらおうか。」・・・悶々とした思いを持って、20数年前
オヤジは過ごしていた。             
                 
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             光テック物語(NO.10) お客様が先生

ある時、電気温水器をお使いのお客様から、「風呂の調子が
悪いから見に来てちょうだい。」と電話がありオヤジ(先代社長)は、
出かけて行った。電気温水器は、正常であった。ところがお湯の
配管が土の中にあり、この鉄の配管が破れてわずかであるが湯
が漏れていたのである。

だから後でお風呂に入った人がお湯が
足らなくなるのである。電気温水器を使用しているお客様は、
てっきり電気温水器が悪いと思ってオヤジに電話してきたのである。

「電気温水器は悪くありません。配管がわるいから施工してもらった
水道屋さんにいって下さい。」とオヤジはお客様に言いかけて考えた。
お客様は、電気温水器を直してもらうという物理的なことを言ってきた
のではなく、お風呂に入りたいという機能を直してもらいたいのだ。  

オヤジの転機であった。お客様の生活全般を満足してもらうような
総合リフォーム業者になろう。
昭和50年のことである。


               光テック物語(NO.9) オヤジの墓標

電気温水器という商材でお客様との直接取引き「お客様の顔が
見える関係」を見出したオヤジ(先代社長)は、水を得た魚のように
生き生きとしてお客様と接していった。

私は、修業時代にオヤジのそばで「お客様へ電気温水器の説明を
する姿」を見ていて、土佐弁丸出しの独特の語り口で、お客様と話
をする姿に、私は、なぜかオヤジの必死さを感じた。現在私は、
当時のオヤジよりはるかに電気温水器のことについて知っている
と思っているが、どうしてもオヤジを超えることができない。オヤジの
必死さと電気温水器への情熱を私は、超えることが出来ないのである。

この頃からであろうか、「喜代志よ。おれの墓は電気温水器のような
丸型にしれ!」と言い出したのは。今から25年昔の話である。
                                                                                                                                                                                                   
                       

            光テック物語(NO.8)ちょっと一服

昭和392月オヤジ(先代社長)が、ペンチとドライバーを自転車
につんで創業したころから、現在にいたるまでを振り返り、今後の
(株)光テックの将来の方向性を探そうとスタートしましたこの
「光テック物語」ですが、ここでちょっといっぷく。 

私は、オヤジと一緒に運動会や動物園、デパートへ行った記憶
がない。一番古いオヤジとの記憶は、おぼろげではあるが昭和28.9
ごろであろうか、農人町の映画館(現在倉庫となっている?)へ連れて
行ってくれたことである。オヤジの黒塗りの重たい自転車の荷台に、
必死にかき付いて乗って、薄暗い映画館に入った。「たこのおばけ」
が人をおそっているような白黒の映画であったような気がする。


今、その倉庫の前を通ると甘酸っぱい匂いがなぜか感じられ、
4
歳か5歳位の私が飛び出してきそうな気がする。
                                                                                                                                                                                                   
                        

           
光テック物語(NO.7)「お客様の顔が見える」商売

昭和40年代の後半ごろから給湯器に深夜電力を使用した電気温水器
が普及し始めた。

オヤジは、これだと思った。お客様と直接お話をしてお客様から直接
買ってもらうという「お客様の顔が見える」商売のきっかけとしたのである。

電気温水器は、当時としてはあたらしい給湯器としてあまり他の業者が
扱っていなかったことと電気工事としてオヤジの知識がぴったり一致した
のである。

お客様と直接お話をして納得していただき、設置工事を完了
して、お客様から「なかなか快適ですよ。」といわれた時の喜びこそ、
商売の原点であった。
                                                                                                                                                                       
 
      
光テック物語(NO.6)下請けとしての宿命

創業して5年程たった昭和45年ごろになると、23の大工さんから
定期的に新築住宅の電気工事を言ってきてくれるようになった。

なんとか生活も安定してきていた。しかし、オヤジは、何となく
不満ができてきたのである。それは、「お客様の顔が見えない。」
ということである。

大工さんから電気工事という下請けの仕事をもらっているのであって、
お客様から仕事をもらっているのではない。お客様への直接的な
提案や、顔を合わしてのお話ができないのである。なんとかして
お客様へ直接的な商売をしたい。

しかし、このことは、下請けとしての宿命であって当時は
悶々としてばかりでどうしたらよいか
わからない日々を過ごしていたのである。
                                         
                                                                                                                                                
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      光テック物語(NO.5)創業の頃

このころになるとオヤジは、自転車から50ccのバイクに
替わっていた。

とはいえ工事をする時の工具、材料などを運搬するのは
大変なことである。照明器具などのようにかさばる物は、
仕入先から現場へ持って行ってもらうとしても
50ccの荷台では
積める物には限界がある。一番困ったのは、はしごである。

オヤジは工具箱を工夫して独自の整理方法で実にコンパクト
に最小限のスペースに必要な物を
50ccのバイクに積んだ。

冬、ジャンパーの上からテスターと絶縁抵抗器を、両肩からたすき
にかけて、腰にはペンチやドライバーなどの腰道具を巻きつけ、
ヘルメットをかぶってバイクに乗って現場へ行く後ろ姿は、巌流島
へ戦いに行く宮本武蔵そのものに私には見えた。

 昭和40年代初期のことであった。                                                                                                                                                                                                                              

        光テック物語(NO.4)「体を張って」

 電気工事を一人でやるのは、大変なことである。普通は一人が
一階の床から電線がからまらないように天井へ入線して、天井裏
にいるもう一人がその線を取って接続箇所まで延線して接続する。

人を雇う余裕がないオヤジ
(先代社長)は、そのすべてを一人で
やらなければならない。床と天井裏を何度も上り下りしたことだろうか。

私は、私の修業時代にいやというほどこのつらさがわかった。

このようにしてオヤジは、一人で工夫をしながら何とか短時間で

仕事をこなしていくことを「体を張って」覚えていったのである。                                       
      
光テック物語(NO.3)商いの原点

ある工場の電気保守の仕事をしていた父は、町に電気工事をもとめても、
お客様がいないのは、当たり前だった。何ヶ月も電話の前で、仕事を待つ
辛さ、ほんのわずかな友人への営業、また町方の電気工事の技術習得
など時間とともにあせりがでてきた。

仕事の第一号は、近所の人がいってきてくれたコンセント
1個の増設工事
であった。しかし、この第一歩がよほど嬉しかったのか、この
「コンセント
1個の増設工事のこと」を何度も何度も私は聞かされた。

商いの原点がここにあった。昭和
39年春のことである。


       
光テック物語(NO.2)創業の頃

昭和392月に、先代の社長 (オヤジ)が創業した。
オヤジが
39歳のときだった。
私が、中学校3年、弟が中学校1年の時である。
私が当時のオヤジの歳をはるかに越えた今、
創業当時のオヤジを思うと胸がいっぱいになる。

将来に対する不安、しかし未来への夢・・・自然と涙が出てきて
しょうがない。

オヤジは、ペンチとドライバーで自転車にカゴをつけての船出だった。
 
                                                                                                                                                                                                                           
                        
               
光テック物語(NO.1)プロローグ

私が二代目社長に就任して早13年の歳月が過ぎました。
先代の社長が創業してから
39年になります。ここで、
創業から現在にいたる波乱万丈の歴史を振り返って、
(株)光テックの企業理念を皆様にお話しようと思います。

何か、この世の中が「変革」といわれている時代に、
(株)光テックの進むべき道がこの「光テック物語」を連載して

いくことにより答えが見えてくる気がいたします。

では、次回よりスタートいたします。

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